
私は、地域の子供たちと、一反弱の田んぼで米を作っています。その時にお会いする保護者から、「子供を雑草のように育てたい」という言葉を伺うことがあります。
私も、この言葉には共感を覚えています。ところが、「雑草のような、とは具体的にどういうことですか?」と聞くと、「強く」とか「たくましく」という曖昧な言葉しか返ってきません。
「強く」とか「たくましく」という言葉に惑わされると、体力をつける、技術を磨く、根性を植え付けるなどの、いわばトレーニングが大切だと思いがちです。

私自身は「雑草のように生きる」とは、「どんな状況においても、自分で判断し、切り抜ける能力を持つこと」だと思っています。こうアドバイスすると、そうだ、そうだと、手を打って賛同する保護者が多いのにも、ややとまどいを感じます。
自分自身の人生経験だけでいえば、私自身、少年時代は体も弱く、いくじがない軟弱な性格でした。煮ても焼いても食えない私を、まるで探検家のような写真家に仕立て上げてくれたのは、両親をはじめとする大人たちと、本でした。
素晴らしい生き様を見せながら、世界の不思議や探検のことを語ってくれる大人たち、そして本。そこから果てしない「夢」が、私の心の中に広がり始めました。
「夢」は、実現しようと思った時に、努力することを教えてくれます。体の弱さも、自分ができる方法で克服しました。こうして、自分で自分自身を切り開く力を、自然に持つようになったのです。
人は生きてゆく上で様々な問題にぶつかり、それは決して一様ではありません。精神的発達がなければ、状況に応じて対応することが難しいものです。
「夢」は、好奇心や興味から生まれます。
私が取材を進める上で、常に心がけていることは、子供たちが潜在的に持つ、好奇心や興味を引き出す「素材」を探すことです。「素材」すなわち、「ジャポニカ学習帳」の写真やテーマを通して、子供たちの精神的発達をうながすことができれば、これ以上にうれしいことはありません。
写真・文:ジャポニカ学習帳「世界特写シリーズ」取材班 山口 進 |