
最近、マスコミでよく使われる言葉を挙げてみましょう。
「わくわく」「どきどき」「うきうき」「感動」「感激」などが目につきます。これらは、どれも心が浮き立つような状態を表す言葉です。それに「涙涙」「感謝感謝」などが続くこともあります。
これは、同じ言葉を繰り返すことによって強調しようとする表現です。
これらは意識をせずに聞いていると、状態をよく表しているような気がしますが、少し冷静になって考えると、表現の稚拙さの現れとも受け取れます。
例を挙げるならば「どきどき」にも様々な状態があります。不安でどきどきする、驚いてどきどきするなど、細かく表現すると「どきどき」という曖昧な言葉での表現は不十分であることに気がつきます。
もちろん、逆にこの表現するところを利用し、曖昧に幅広く表現しようとしている場合も見かけられます。
たとえば、ラジオ番組のタイトルに「ワクワクラジオ」というのがあります。様々なワクワクがあるということで、これは不特定多数を相手にして手短に幅広い意味を持たせるための表現としてうまく使っていると思います。
しかし、このような言葉があちらでもこちらでも使われていると、耳障りになってきます。
我々日本人は曖昧さを追い求めているのではないか、と心配にすらなります。この曖昧さが良い、という意見もありますが、私はできるだけ使わないようにしています。
心の微妙な状態を、十把一絡げに表現したくはないからです。
人間の複雑な感情を、できるだけ微細に表現したいと思うからです。
そのために呻吟し、言葉を探し、表現を考える作業を繰り返しますが、それでも思うような表現にならないことがあります。

言葉による表現とは別に、もう一つ気になることがあります。
それは、感動、感激などの後に見せる「涙」です。どういう訳か、必ず涙を流すのです。
涙にも、様々な涙があります。
テレビ番組で見たのですが、時をともに過ごした人との別れの日が来る。そしてそれは、必ず涙で終わるのです。その方程式には、出会いは常に別れ、としか解釈していないのではないか、と疑ってしまいます。
出会いこそ、次のステップに続く始まりだ、そう考えられないのでしょうか。
別れこそ楽しい。別れこそ、未来への道、再会を楽しみにできるきっかけ、などと考えると、明るい気持ちになれます。
別れる時に、笑ってはいけないのでしょうか?
私はこれまで、数え切れないほどの別れをしてきました。でも、いつも心には、又いつか会える、又いつか来よう、という強い願望が芽生えるので、次のエネルギーにつながります。
感激したら泣かなくてはいけない、感動したら涙を流さなくてはいけない。そんな公式がいつの間にかできてしまったように思えます。
人の心は多様で、その反応も多様であるはずなのです。
人間の心がクローン化されないことを願っています。
文・写真:ジャポニカ学習帳「世界特写シリーズ」取材班 山口 進
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