
私が落語に出会ったのは、小学校4年の時です。そのころは、家庭の楽しみといえばラジオでした。夜になるといつもラジオがかかっていて、寝ながら聞くのが最上の楽しみでした。
なかでも落語は、小さかった自分に意味はよくわからなかったものの、あの雰囲気、落語家の声、話し方、リズムなど、ただ聞いているだけで心地よいものでした。私は特に、古典落語の世界に引きずり込まれていきました。
今でもラジオで聞く古典落語は楽しいのですが、ひとつ気になることがあります。
聞く側が、話が始まる前から「さぁ、笑うぞ」と待ち構えていることです。噺家が出てきたとたんに、笑ったりするのです。
昔の寄席では、客は「さぁ、笑わせられるものなら笑わしてみろ」という気構えで寄席に出かけたと聞きます。客の中にはわざと寝転んだり、噺家を無視したりということもあったようです。
それに対し噺家は「こんちくしょうめ、てめえらがそんな気なら、こちとらにも考えがあるぞ。そのうち笑わしてやるからな。」と一生懸命話を進めるのです。噺家は間をとり、少ない言葉に味と重みをもたせ、今のようなうるさい落語とは一線を画すものでした。寝ころんだ客が起き上がり、無視していた客が噺家のほうを向きはじめたら、そこからが勝負です。
客が、最後にクスリと笑ったら噺家の勝ちです。この駆け引きのおかげで、噺家は芸を磨くことができ、いわゆる名人が出てきたのでしょう。
現在の「笑いたがり症候群」の客には、残念ながら噺家を育てる気概はないようです。芸を育てることの大切さと難しさを、気にもとめなくなったのでしょう。名人が消えたのは、そのせいかもしれません。
「笑いたがり症候群」がでてきたのは、おそらく本当の笑いを知らない「野次馬」が増えたことの証しではないでしょうか。

文・写真:ジャポニカ学習帳「世界特写シリーズ」取材班 山口 進
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