
私はラジオが好きなので、うちでは一日中ラジオをつけている。
私の住んでいる地域はラジオ局が少ないから、何を聞くかが大きな問題だ。もっとも、何かしながら聞く「ながらラジオ」なので、内容にはあまりこだわらない。
話し手の言葉の響きが自然であると聞き易い。内容とは関係なく、まるで優しい音楽のように耳に心地よい。

逆にラジオを聞いていて、一番耳につくのは流行語。それも外来の流行語だ。マニフェスト、リベンジ、コラボレーション…流行っている時は、猫も杓子もその言葉を連発する。偏見かもしれないが、言葉そのものにも、とがった部分を感じる。
使う側からすると、「現代的だ」とか「表現として適している」と、その時には感じているのだろう。
しかし聞く側からすると、同じ価値判断に立っている人ならいいが、私のようにできるだけ外来語、特に流行りのものは使わない方針をもつ者にとっては耳触りでしょうがない。
外来語の使いかたは難しい問題だ。言語にはそれぞれ微妙な違いがある。どうしても日本語で表現できず、外来語の正確な意味合いが把握できていて使用するというならば、目をつぶることができるが、単に流行りだからという使い方には抵抗がある。さらに自分を表現するのに、単純に目の前に転がされた言葉を選んでよいものか疑問を感じる。
マスコミが使えば一般の人も使うのは当然だ。マスコミ関係の人は、言葉に対し責任がある。表現は、自分の気持ちや考えを、いかに言葉に乗せるかにかかっている。だから、使う言葉には、自分なりのものを選ぶことが重要だと私は思っている。
幸いなことに、これらの流行外来語は、最近になってあまり聞かれなくなってきた。流行はすたれるのだ。
一般的に外来語はすたれる運命にあるようだ。それは、日本人の気持ちを表現するには十分でないか、あるいは持つ意味が日本語とは少しずつ違うからだと思う。
最近、同じように耳につくのは、はやり言葉だけではなく「駄洒落」だ。公営放送であるNHKが特にひどい。朝から晩まで駄洒落で明け暮れているような気がする。
駄洒落を使うことによって「親しみ深さ」をかもしだそうとしているのであろうか。NHKは世界中の人が聞けるすばらしい放送だ。内容も素晴らしいと思う。その素晴らしさや品格を、駄洒落という安っぽい言葉で落としてしまっていいものだろうか、疑問を感じる。
駄洒落が一般の人の心を緩和し、親しみ深さを増すと思うのは大間違いだと思う。放送から流れる言葉は一方的だからだ。
NHKの言葉や言葉に対する姿勢は、日本の基準ともなる重要な役割を持つことを忘れてほしくない。
文・写真:ジャポニカ学習帳「世界特写シリーズ」取材班 山口 進
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